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大学は、学問を通じての人間形成の場である

 今日は大学教育学会のラウンドテーブルがあった。このご時世なので、オンライン学会である。大学教育学会は基幹教育院に配置替えになったときに入会したが、ずっと幽霊会員であった。しかし、今年は九大で開催するだろうということで、顔くらい出しに行かなくちゃ、と考えていた。師の寺﨑先生もこの学会には出られるという気がしていたので、楽しみにもしていた。先生とは昨年の研究会が流れてからお目にかかれていない。

 それはともかく、そんなときに何かのはずみで元の同僚だった田中岳氏と連絡を取ったところ、

「大学教育学会の会費は払ってますか?」

と妙なことを聞かれた。

 ちょうどネットで支払ったばかりだったので自信を持って「うん」と答えると、「大学の学士課程での研究体験というようなことに興味はないか」というような話を向けられたのである。いや、九大にいた頃、卒業論文の質がどんどん下がっているのを実感していたし、学生のみならず教員も卒論を軽視しているような気がしていた。卒論の厚さを紙の厚さで誤魔化すようなものもしばしば提出された。厚紙に書かれた論文というのはなんとも見るだけならば面白い。しかし、論文の内容は推して知るべしだろう。

 以前は何年かに一人くらいそういうのがいることはいた。しかし、毎年一人ではすまないし、全体に質が低下していると感じていたのである。さらにそのテーマ自体、ほんとうに本人か書きたいものなのか怪しいものも多々あるし、退職後ではあったが、11月くらいになって何も準備をしていないという強心臓の学生の相談に乗ったこともある。

 さらに驚くことはそういう卒論を書きながら大学院に進学する者もいるし、それを認める教員もいるということである。

 一方で、現在勤務している西南女学院大学では教職課程を担当しているので余り研究的な話をしても学生には不親切である。また、所属している看護学科では国家試験に合格させることが絶対的な目標である。とは言え、そのような受験生活だけでほんとうに有能な看護師になれるのかと言えば、そこに不安があることを多くの教員は感じていたようだ。

 そんなこともあってか、初年次セミナーという科目を全学で立ち上げ、「大学での学びとは」という全学向けの講義、それと看護学科では「レポートの書き方」という講義をし、かつ初年次セミナーも担当している中で学生に多少でも研究体験をしてもらいたいという思いもあった。

 ということで思わず田中岳氏と話し込んでしまったら、それは大学教育学会でそういったラウンドテーブルをやりたいので乗らないか、という誘いだった。学会でそのような参加をするにはその年度の学会費を払っていることが条件だったので、最初に「学会費は払っているよね」と問われたということだ。

 ところが、コロナウィルスのおかげで学会はオンラインでやることになった。但し、オンラインでやるのは基調講演とラウンドテーブル、それとシンポジウムに限られる。

 ともかく、われわれのラウンドテーブル「学士課程における研究体験の教育的意義を考える」が本日の午前中に実施され、つつがなく終了した。三番目の話者として前述のようなことを話して、それなりに満足したところである。話の趣旨は標題にあるように「大学は、学問を通じての人間形成の場である」という天野貞祐の〔お言葉〕である。そして、いかに制度を変えようが教員が学問の最高レベルの視点で学生と接しなければ、〔堕落はどこにでも風潮としてある〕というのが僕の結論であった。

 

もうすぐシンポジウムが始まる。

 
 
 

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