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358

更新日:10月6日


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 車のナンバーに興味がある。というより、老化防止のために車のナンバーで遊ぶのを気が向いたらやっている。どういうことかというと、4つの番号をどうにかして10にするというお遊びだ。「1234」なら「1+2+3+4=10」というようにだ。足し算だけではなくかけ算、割り算などいろいろな計算を駆使して10にしてみる。時に「*321」を「3の2乗+1」とやったら、同好の士から「それはないだろう」と却下された。「*444」を「√4+4+4」とやったら「それもダメだろう」と否定された。

 そんなふうに車のナンバーに目をやることが多い。そんなとき近所のとある店の前の駐車場に「358」というナンバーの車が2台並んでいるのをみつけて驚いた。そしてそのまま歩いて近所のマンションの駐車場にも「358」の車をみつけてさらに驚いた。

 どうやら、「358」は人気のナンバーらしいのだ。で、ネットで調べてみると、風水の吉数であるとか、沙悟浄(3)、孫悟空(5)、猪八戒(8)だとかいろんな理由があるらしいが、そんなことはどうでもいい。要は縁起がいいということなのだろう。

 それで車に乗っているときは走っている車のナンバーに「358」を探すようになった。一時間程度の遠出になると必ず「358」の車に出会う。そういう日が何日も続いたのだが、一昨日に大牟田まで行った時には出会わなかった。やはりちょいと偶然が重なったのだな、と思って、昨日は福岡市内まで行った。行きにも「358」は走ってなかったので、「ま、こんなもんだろう」と多いとは言え、さほどではないという結論に持っていこうとしたら目の前を福岡ナンバーの「358」が走っていた。そのままついていったら、なにげに右側を追い抜いていく車が前をゆく「358」に並んだ。なんとこれも「358」で北九州ナンバーであった。右車線の「358」はさらに車列を縫うように追い越しを続けてずっと前方にいってしまい、目の前の「358」も途中で左折して姿を消した。

 そして宗像市内に入ったあたりでなんと3代目の「358」が目の前に割り込んできた。これは東京のナンバープレートであった。一日の空白を埋めるかのように昨日は「358」にこれでもかと襲われた。次の遠出はいつになるかな。また何台の「358」に出会えるか、楽しみである。

 で、なんでみんな同じナンバーをほしがるのだろうか。前述のように何らかの験を担いでいるのだろうが、どうやら小林正観という人が広めたらしい。この人の書いた『宇宙を味方にする方程式』(致知出版社 2006)に「聖なる数字三五八の不思議」という項があって、そのあたりが震源地のようだ。この本を買って読もうとは思わないが、Amazonで目次は読めるので、だいたいそれで理解できる人は理解できると思う。「方程式」という言葉は使っているけれど、方程式のような数学的論理によって導かれる内容ではない。ある種のトンデモ本だ。科学的根拠は何もありそうにない。ある意味で創作された迷信であると言えよう。それを信じて頼りにするというのはあまりに愚かしい、とぼくは思う。

 そう言えば、昔「888」のナンバープレートをつけていたことがある。末広がりで縁起がいいとされる番号だ。あえて、その番号をお願いしたのではない。中古車を買ったらその番号だったということで、元の持ち主が所望した番号だったと思う。その車は追突事故を起こしてナンバープレートを潰してしまったので違う番号に変えたという経緯があります。その一件については当時の宗像市の広報誌に書き、福岡市同研から『差別は生きている』(1995)という冊子にしてもらったのでそちらを(見れるものなら)見てもらえばいい。趣旨は井元麟之氏が六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)のような迷信を信じることが部落差別の意識を温存、助長するものだと訴えたことに学んだ内容だった。

 ただ、その最後に戯れ歌を1首載せた。


八の字は末広がりと思えども憂き目に遭えばただの八の字


 なかなかいい短歌だろう。




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