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インドへ逃避行

 逃避行と言っても、駆け落ちではない。結果的には新コロナウィルスからの逃避ということになったのだが、それは結果論でしかない。ま、世俗の柵(しがらみ)からの逃避だろう。当初、香港経由で行く予定だったが、コロナウィルスの関係でシンガポール経由に切り替えた。それは正解ではあった。なにしろ香港経由の帰りの便は運行中止となったらしいのだ。ウィルスに怯えて旅行をキャンセルした人も若干居たが、現段階では日本にいた方が感染のリスクは高い。で、その意味では逃避行となってしまった次第だ。

 旅となれば、多くの時間は物見遊山に費やされるのだが、移動の時間中や一日ボーッとするときなどは何か読み物がほしくなる。まずは聖書だ。昨年はガンジス川のほとりで聖書を読んだ。今年はインド洋を眺めながら読むことにしよう。ちょうど旧約は「列王記下」から、新約は「ヨハネによる福音書」の途中から読むことになる。適当な分量をコピーして綴じた。

 聖書を通読するのは二度目になる。今度は日本聖書協会の共同訳。新しい訳だ。陽皮が包皮にというようにわかりやすい翻訳になっている。それでもよくわからない事柄も多い。背景にある知識の不足もそうだろうし、要は信仰というところでのスタンスもあるのかもしれない。

 まあいい。他にも何か読み物を持っていこうと思い、近々書評しなくてはならない本を手に取った。締切が三月に入ってちょいとした頃なので、少しでも目を通しておきたいとパラパラ捲ったが、止した。なにもインドに仕事を持っていく必要はあるまい。それより、先日買った『世界哲学史Ⅰ』を持っていこう。なんとか1章を読み進めたところで、いよいよ本題に入る。2章は古代西アジアだが、3章は旧約聖書とユダヤ教、4章は中国の諸子百家、そして5章は古代インドとなる。そのあたりまでは今回の旅行中には読み進めたい。なにしろこの旅と重なるから。読み物はまあ、そんなところだ。

 この数日、しなければならない事柄に始末をつけ、テレビの録画もオーバーフローしないように50GBほどディスクに移した。試験の採点を終え、再試験の問題と再試験に対する心構えも教務課に渡した。なにしろ「教育原理」で4割ほどの不合格を出してしまった。その理由は問題文をきちんと読めていなかったことによるので、「心構え」というのはその試験問題の解説をしたものである。今度は要求したことに答えなさいよ、という心構えであり、どういうことが期待されていたのかというガイドラインである。

 やたらとめんどくさい問題をやらせたり、こんなふうに学生たちの誤答を世間に公表しているのも、学生たちに自律した教育職員になってほしいからでもあるが、それ以上に西南女学院大学で学ぶことで人間としての資質・能力を磨いてほしいからである。本学は、殊に保健福祉学部は看護、福祉、栄養といった実務系の学科であり、ややもすると専門学校のような学びになってしまいがちである。それでは彼女たちの将来が寂しいものになってしまう。やはり西南女学院大学で学んだのだから、人間に対する深い洞察力を持った専門家になってほしいのである。そのために「教育原理」の再試験に際しては、自分の頭をフルに使ってもらいたいのである。

 



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