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『資本論』はすごいということを白井聡氏に教わりつつある。

更新日:2020年12月1日

 今日はとあるセミナーの講師をした。6時間にわたって、人材育成の基礎知識について語ったのだが、まあ、言い換えれば、学び方についての講義だ。別に僕は学びの専門家というわけでもないが、教育学者の端くれとして多少聞きかじったことを、自分なりにアレンジして語っただけである。

 その中で、新井紀子『AI vs.教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社 を引用して、彼女がみつけた「学び」の問題点について考えてみた。ちょうど昨日だったか一昨日だったか、続編にあたるのか『AIに負けない子どもを育てる』東洋経済新報社 が届いたので、それを昼休みにななめ読みしたところで、午後の講義でパソコンの向こうの受講生に向かって語ってみた。

 今度の本の中で新井氏はおもしろい指摘をしている。前著でも書いていたことなのだけれど、機能語を正しく使えない子どもは教科書を読んでも意味がわからず、教科書を「キーワードの群れ」として読むのだという。歴史の教科書のある部分ならば「徳川家光、参勤交代、武家諸法度、鎖国」というように。そういう読み方はAIと同じなので新井氏は「AI読み」と読んでいるのだが、そうすると暗記のテストはそこそこできてしまうので、学習したと自信を持ってしまうのだという。いわゆる「あるある」だ。「あれはそういうことだったんだ」といくつかの事例を思い出す。

 そのことに加えて、この本の冒頭に、文筆業の人から「物を書いて世に問うのだから批判されるのは覚悟している。けれども、近年あまりに理不尽かつ不可解な非難が多くて議論にならない。よほど悪意があるのかと思っていたが、この本を読んで『もしかするとそういう人たちは文章を読めていないのかもしれない』と思い始めた」ということが紹介されている。そう言えばまさに新井氏の前著が出たときに同著を批判したHPに行き当たったのだが、新井氏を受験戦争を推進する人間だというような趣旨で非難していたのを思い出した。やはりそういう人が多いらしい。

 そんなことを考えつつ帰宅して風呂で読みかけの白井聡『武器としての「資本論」』東洋経済新報社〔おっ、新井氏の近著とよく似た装丁だと思ったら同じ出版社だったか〕 を読んでいてまたまた腑に落ちる記述に出くわした。

 それは教育の商品化についての箇所である。長いけどそのまんま引用する。

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 また商品の享受者は消費者です。教育を商品とみなすと、学生は消費者化していくことになります。その弊害はさまざまな形で表れます。例えばひどい受講態度です。こっちは客なんだから文句を言われる筋合いはない、というわけです。

 そして消費者は受動的です。消費者然としている学生は、決まってみなつまらなそうな顔をしています。おそらく人生がつまらないのでしょう。

 彼ら、彼女らには「自分で面白いことを見つけて、それを学ぼう」という考えはなくて、「どこか面白いこと、楽しませてくれる何かが自分を目がけて降ってきて、、それが自分を楽しませてくれるのがあるべき姿だ」と思っているのです。

 ですから「先生の話がつまらない」「何を言っているのかわからない」というときに、「それはひょっとすると自分の知力が足りないためではないか」とは絶対思わない。「自分が面白さがわからないだけなのだ」とは考えず、「こいつは何をわけのわからないことを言っているんだ。何か面白い話をしろ」という態度になっていくわけです。

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 おお、その通り。僕もこの一節ですべてが腑に落ちた。教育も聖域ではない、というのはどこかの新自由主義者がほざいていたことだったと思うが、まさに教育は聖域から消費世界に引き出され、商品化されてしまったのだろう。その商品化の結果がどういうものかを白井氏は見事に説明してくれた。Q大の親しい友人が、「授業評価はテロリストを育てているようなものです」と語ってくれたときはすごい表現だなと思ったが、お客様相談室のようなものだと考えれば、合点がいく。今後対策は斯界の第一人者だった近藤くんに相談しよう。

 大学の学びの目的が資格や就職に限定されてきたなという感触を持つようになってもうだいぶたつ。「就職なんて大学が世話する問題ではないだろう」と前任校にいた頃、お偉い方にもの申したときに、「それでは是非就職対策説明会においでになって御意見を述べてください」と躱されたことがあったのを思いだした。その頃からか、それ以前からか、大学は商品化されつつあったようだ。それは大学の大衆化ということが取り沙汰されていた1970年代あたりから始まっていた動きなのかもしれない。もしかすると若大将シリーズや太陽族などはその先駆的な徴候を示していたのかもしれない。

 その始まりがどうであれ、われわれは商品化された大学の中でお客様の御機嫌を取り続けるのが大学にとって得策なのか否か、考えるべき秋でもある。新井氏の近著と白井氏の指摘におおいに学ばせてもらった。東洋経済万歳である。


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