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1年生向けの遠隔授業

 本日は[初年次セミナー]という1年生向けの講義を行った。1年生といっても今日は福祉学科の学生が相手である。この[初年次セミナー]というのは、いわゆる初年次教育というもので、本学では最初に「大学での学び」についての講義を僕がやることになっています。つまり全学の新入生相手の講義なのですが、学科ごとだったり、複数の学科の合同だったり、時間割と教室によって何回か同じ講義をちがう相手にするようになっています。

 今日がその最初で相手は福祉学科。まず、録画しようと思ったらできない。これはgooge側に不備があるらしく、使えないようにしたという教務課からの指示が授業後に判明した。また、板書代わりにpptを作成したが、これがうまく共有化できない。で、あきらめて、まさに対面で講義をすることにした。資料は事前にclassroomでダウンロードできるようにしておいた。

 資料を共有化すると画面一杯にその資料が広がり全く向こう側が見えない。それはそれでストレスになるが、学生の理解を進める上でやむを得ないと思っていたが、pptをあきらめたら、学生の顔が見える。僕の話にうなづく学生の顔を見て、こちらも安心するし、講義をしている実感がある。ていうかわずかではあるが、学生たちとリズムを共有化している感がある。

 で、次の講義からはpptとか、資料の提示は最小限にして、対面する授業にしようと思う。そのほうが講義はしやすい。また、途中で質問をするという方法もオンライン講義ならではだ。質問を提示すると学生はそれに対する見解を書いて送ってくる。授業中何度か作業を入れた方がいいというのは先人からの助言である。通常の講義だとワークシートを配って書かせても何も書かない学生もいる。授業に集中していないのかもしれない。書いたところで気持ちが入っていないように感じるのはこっちの勝手な思い描きだろうか。

 しかし、オンラインだと学生の書いた内容が次々と視界に入ってくる。おそらく学生も「提出しましたよ」という実感を感じているにちがいない。こちらの方が授業に対する参加意識は高くなっているのではないかと思う。ていうか、感じる。

 集まった学生の回答にコメントするのもしやすい。殊に今迄は授業の終わりに課題を出して意見を書いて貰っていたが、「見ました」のチェックくらいしかできず、時々必要な学生には朱字でコメントを返していた。しかし、遠隔授業ではダイレクトにパソコン上でコメントがつけられるのでとてもつけやすい。ついつい、コメントをつけてしまう。だが、やり始めたらけっこう時間はかかるもので、少し後悔はしている。でも確実に個々の学生とのオンライン接触はできているようだ。

 オンライン授業はコロナ禍の副産物のようなものだが、こういうことがきっかけとなって大学の教育も変わっていくのかもしれない。これまで、大学の「講義」とは言ってきたが、「授業」という言葉は使いたくなかった。その理由について語ると長くなるのでやめておくが、オンライン授業をやってみて、「授業」と呼んだ方がふさわしいという気がしてきた。だからここでは「授業」を乱発している。また、古い人間ではいられなくなってしまった。6月にはオンラインで学会のラウンドテーブルをやることになっている。少しずつスキルも磨かなくてはならないな。

 ちなみに最初に画面の共有ができなくて・・・と書いた(共有化というような用語自体理解するのに時間がかかったものだ)が、それは単なる僕の操作ミスであった。ミスがどういうものであったかは恥ずかしいので書かないが、おかげさまで、画面の共有化というのは最小限にした方が授業はしやすいということはわかった。明日からはシンプルに講義に臨むことにする。明日は人文学部の学生が対象だ。

 
 
 

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